わたしの魂よ神を待ち望め | 詩編 43編

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詩編 43編

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 43編5節

わたしの魂よ神を待ち望め

私たちの魂を本当にうるおすことができる方は、まことの神以外にありません。私たちは、誰しも自分の魂をうるおしてくださるまことの神を探し求めながら生きているのではないでしょうか。人間が持っている苦しみがさまざまにあったとしても、苦しみの根源は、まことの神が共にいないということにあるのではないでしょうか。

ですから、人間は誰しも、まことの神が共にいないという魂の渇きを持ちながら生きていることを自覚する必要があります。私たちがまことの神を探し求めたことによって、まことの神へと導かれ、その神を礼拝することができたとき、大きな「喜び」と深い「感謝」が湧き起こります。

礼拝において、そこに招かれた者たちが「喜び」と「感謝」を神の前であらわすことは、とても大切なことです。4節では、「神の祭壇にわたしは近づき、わたしの神を喜び祝い、琴を奏でて感謝の歌をうたいます」(4節)と素直にまことの神への「喜び」と「感謝」が表現されています。

神は、ご自身を探し求める者と必ず共にいて、魂の渇きを自覚しつつ祈り求める者の祈りを必ず聞き上げ、魂をうるおしてくださいます。まことの神を待ち望みたいと願います。

【祈り】

神よ。苦しみの中で、あなたの救いを祈り求めている私たちといつも共にいて、私たちを守り導いてください。

浅野 正紀(江古田教会)