御姿を見るだけで満ち足りる | 詩編 17編

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

詩編 17編

わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み
目覚めるときには御姿を拝して
満ち足りることができるでしょう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 17編15節

御姿を見るだけで満ち足りる

1節と15節に「正しい」という言葉が繰り返されています。普通、正しいという言葉は、道徳的な意味で使われますが、聖書では神との関係を言い表します。神こそ真実に正しいお方であり、その神との関係がよければ正しい、そうでなければ正しくないと言われます。人間は、創造主なる神の御前に立ち、神と向かい合って初めて正しくあれるのです。

詩編17編の詩人は、創造主なる神と親密でよい関係を結んでいたようです。彼は厳しい苦難の中でも、自分を敵の攻撃から守ってくださるように、何よりもまず、神に祈っています。そして、最後にこう告白して祈りを終えます。敵の悪人は、世の中の物を求め、それで自分を満足させようとしますが、わたしは正しさを認められ、御顔を仰ぎ望み、御姿を拝することで満ち足りると言います。

祈りが叶えられるかどうかには関心がないように見えます。ただ祈りを通して神と出会い、御姿を拝することにもっと関心があり、それで満足します!神お一人で満足します!と告白しているのです。これこそ、神と親密な関係を結んでいる正しい人の祈りであり、告白です。

この告白をもって正しい人として神お一人で満足する私たちの歩みになることを願います。

【祈り】

神と親密な関係を結び、御姿を拝するだけで満ち足りる歩みになるようにしてください。アーメン

韓 相眞(山本伝道所)