裁きの先にある神の祝福 | イザヤ書 4章

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イザヤ書 4章

その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 4章2節

裁きの先にある神の祝福

この4章で、2章から続いてきた「その日」、つまり神の裁きの日の幻の預言が締めくくられます。ここではこれまでのエルサレムの罪や傲慢に対する激しい神の断罪とはうって変わって、神の裁きの先に「生き残った者」に対する祝福が告げられます。

ここにきて神の裁きの目的がはっきりします。神の裁きは、けっして罪に汚れたイスラエルの民を罰して切り捨ててしまうためではなく、裁きの先に洗い清められ練り清められた真の神の民を残して祝福するためでありました。そして、主なる神は、けっして罪や汚れをそのままにしておかれる方ではなく、大切な民を内側から根本的に洗い清めてくださるお方であり、清められ新しくされた者に祝福を与えてくださる方なのです。

新しい民に与えられる祝福はどれも私たちに与えられた祝福でもあります。「主の若枝」である主イエス・キリストを栄光として仰ぎ見る者とされ(イザ11章、53章参照)、主イエス・キリストの十字架によって罪が贖われた「聖なる者」とされ(ヘブ13章12節ほか)、そして主イエス・キリストの「命の書に名が書いてある者」として救われる(黙21章27節)。そういう希望と祝福に私たちはきょうも生かされています。

【祈り】

義なる神さま。罪と汚れにあったこのわたしを清め、聖なる者としてくださったキリストの恵みに感謝します。

草野 誠(湖北台教会)