キリストの受難と死による正義と愛 | マタイによる福音書 27章11-56節

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マタイによる福音書 27章11-56節

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 27章46節

キリストの受難と死による正義と愛

受難週に入ります。この箇所は、主イエスがピラトから尋問され、十字架につけられて処刑されたことを語っています。主イエスの処刑に関わった人物として、既得権益に執着していた宗教指導者たち、頑なな群衆、そして優柔不断で巧妙なピラトという、3種類の人びとが登場します。彼らの姿は私たち自身の内にある罪の姿にほかなりません。私たち皆が取り返しのつかない罪を犯して、主を十字架につけているのです。

マタイは主イエス・キリストの受難と死の出来事を詳しく記しています。兵士たちによる侮辱(27~31節)、十字架による処刑(32~44節)、イエスの死(45~56節)、そして葬り(57~61節)です。この「キリストの受難と死」は、決して偶然ではなく、旧約聖書の預言の成就です。具体的には、35節、39節、43節、46節などが詩編22編の成就であると指摘されます。キリストは旧約の完成者です。

生けるまことの神は、私たちの罪を黙って見過ごしにするお方ではありません。けれども、その罪を私たちに負わせるのではなく、キリストに負わせられました。キリストの受難と死によって、神は、約束されていたご自身の正義と愛を私たちに示してくださいました。

【祈り】

キリストの受難と死を通して、十字架に示された正義と愛を知り、悔い改めることへとお導きください。

金 起泰(勝田台教会)