祭壇の傍らに立つ主を畏れよ | アモス書 6-9章

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アモス書 6-9章

わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。
「柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。
すべての者の頭上で砕け。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 アモス書 9章1節

祭壇の傍らに立つ主を畏れよ

アモスが見る五つの幻は、回を追うごとに厳しさを増します。9章が描く第五の幻は、一切の希望を根底から打ち砕く容赦ない審判をもって読者に迫ります。この厳しさの背後には、イスラエル宗教の虚飾と崩壊、そしてイスラエル社会を覆う不義と分断があります。

主が聖所の傍らにお立ちくださる。それは本来なら最も祝福に満ちた情景です。祭壇はイスラエルの信仰と生活の中心です。祭壇から神の恵みが溢れ、人間生活の公正がそこで保証されるはずです。けれどもアモスの時代、祭壇は礼拝と社会生活の歪みと腐敗の源でした。神はそのような祭壇を揺り動かし、礼拝する者らの頭上に瓦礫が降り注ぐよう命じておられます。神を畏れることを止めた「宗教」の末路がここにあります。

けれども、霊と真理の礼拝を失った人間と世界に、神は独り子イエスを賜りました。「この神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる」とイエスは言われます(ヨハ2章19節)。十字架と復活の主こそまことの祭壇です。主イエスが実現された祭壇は、赦しと和解の礼拝を生み出す源です。この祭壇に集う共同体は、福音の宣教と神の国実現のため、世界に向けて派遣されます。礼拝が義と公正の源となる。それが、祭壇の傍らに立つ主から託された教会の使命です。

【祈り】

感謝と喜びをもって、主イエスが築かれた祭壇に集います。

小野 静雄(瑞浪伝道所・春日井教会)