「求めよ」と神は招いてくださる | アモス書 5章

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アモス書 5章

まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。
しかし、ベテルに助けを求めるな
ギルガルに行くな日本聖書協会『聖書 新共同訳』 アモス書 5賞4節~5節

「求めよ」と神は招いてくださる

神を求めることは聖書の信仰の生命です。主イエスも命じておられます。「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタ7章7節)。

けれども、預言者アモスの鋭い観察眼に映るのは、明るく誠実な神への求めを失ったイスラエルの現実です。5章冒頭の部分では、イスラエルの家のために「悲しみの歌」が奏でられます(1~3節)。イスラエルを覆うのは、希望の光でなく、失意と死の匂いです。救いを求める切なる祈りは絶え、高慢と自己過信、偽りの礼拝と空騒ぎが悪臭を放つのみです。

一方で神は、真実な求めには命が約束されると語られます。「求めよ、そして生きよ」という力強い招きが繰り返されています(4、6節)。ベテルやギルガルへの賑やかな巡礼が命を生むのではない。生ける神は「わたしを求めよ」と迫っておられます。求めることに前のめりになることを神は願われます。

私たちが主を求めるより先に、主が私たちを求めておられます。神は私たちから遠い方ではないからです。神は独り子を与えるほどに世を愛し、御子を十字架にまで送られました。世界と人間の悲惨から身を引かない決意が、独り子の派遣によって実現しました。キリストこそ、主の近さのしるし、その実現です。ためらわずに主を求め、命の道を進みましょう。

【祈り】

御子を通して実現した神の招きに、今日も従えますように。

小野 静雄(瑞浪伝道所・春日井教会)