御言葉の理解愛餐の喜び礼拝の祝福 | ネヘミヤ記 8章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ネヘミヤ記 8章

民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ネヘミヤ記 8章12節

御言葉の理解愛餐の喜び礼拝の祝福

夜明けから正午まで、人びとは律法の朗読と翻訳を聞きました。さらに説明されたので人びとは朗読を理解することができました。こうして祭司は律法学者としての役割を担い、説教者にもなりました。

礼拝において大切なことは語られた御言葉が理解されることです。深い理解により人びとは「皆、律法の言葉を聞いて泣いて」いました。神の力強い御手に触れ、裁きと恵みを与える大いなる神の導きに、人びとは心揺さぶられて涙が溢れました。

その人びとにエズラたちは泣くことを止めて、食卓の祝いを続け、相互に食べ物、飲み物を分かち合うことを命じます。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と語られています(10節)。そこで、人びとは皆帰って、食卓を囲み、備えのない者と分かち合い、神の救いの恵みを喜び祝いました。「教えられたことを理解したからである」と語られています。

御言葉の説き明かしによる礼拝に続き、食卓の祝いがなされました。それらは御言葉の理解の結果です。

神の救いを知らされ、感謝し、その祝福を食卓を囲んで分かち合い、喜びました。御言葉と聖餐につながる礼拝がここに示されています。

【祈り】

主なる神様。御言葉による神との交わりと隣人との愛の交わりを祝福してください。主の御名により祈ります。

小峯 明(船橋高根教会)