御言葉のパンに養われる | 申命記 8章

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申命記 8章

人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 8章3節

御言葉のパンに養われる

荒れ野の旅は、イスラエルの心を吟味するための40年でした。苦難は試練だったのです。そして、そこには重大な教訓が込められていました(3節参照)。

荒れ野の試練が明らかにしたことは、「人はパンだけで生きるのではない」という真理です。これは新約聖書でも、主イエスがサタンの試みに遭われたときに、この言葉をもって誘惑を退けられたこととして有名です。もとの申命記の文脈からしますと、その意味はパンに加えて御言葉が必要だ、ということではありません。マナの出来事に象徴的に表されたように、たとえパンを事欠いていても、神の言葉によって生かしていただける、ということを指しています。つまり、この全体の文脈で言えば、神の約束のもとに留まっているならば、必ず祝福が実現することを教えられたのです。荒れ野の試練は、苦難の経験であったに違いありませんが、それは御言葉の真実が明かされる貴重な時期でもありました。

私たちが救いの恵みを忘れないという保証はありません。ただ、自分にはそうした罪があることを聖書が教えてくれます。その言葉に聞き続ける限り、私たちは神の約束を忘れることはありません。

【祈り】

主よ、私たちが主イエスの恵みを忘れることがないように日毎の糧で養ってください。

牧野 信成(長野佐久伝道所)