わたしは弱らないではいられない | コリントの信徒への手紙二 10-11章

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コリントの信徒への手紙二 10-11章

だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 11章29節

わたしは弱らないではいられない

10章から、パウロの語り口が少し変わったと感じられるかもしれません。コリントの教会に少なからず混乱があり、パウロに対して「弱々しい人で話もつまらない」と否定的な態度をとる人たちがいたようです。そのような教会と、問題についてパウロが強く説いていることが読みとれます。

パウロの使徒としての主張が述べられ、信頼回復のための弁明でもあり、キリストに仕えるがゆえの苦労の数々も細かく挙げられます。これらの一つ一つを想像すると、パウロが受けていた苦しみのすさまじさを感じます。その上に、自分の愛する群れが問題を抱え、混乱に陥っている状況に心配事が尽きません。

しかし、パウロはそれでも弱い群れに寄り添うのです。「だれかが弱っているなら、弱らないではいられない」「だれかがつまずくなら、心を燃やさないではいられない」と。「心を燃やす」とあるのは、「心を痛める」と訳すこともできます(聖書協会共同訳、新改訳2017)。弱っているだれかを想って心を痛めるパウロはこうも語ります。「弱い人に対しては、弱い人のようになりました。…何とかして何人かでも救うためです」(1コリ9章22節)。福音のためならどんなことでもしようと、キリストの愛に駆り立てられる姿です。

【祈り】

キリストの愛のゆえに、弱るだれかに寄り添うことができますように。

古澤 純人(徳島教会)