人間の言葉とは違う聖書の言葉 | コリントの信徒への手紙一 2章1-5節

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コリントの信徒への手紙一 2章1-5節

なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 2章2節

人間の言葉とは違う聖書の言葉

パウロは多くの言葉を教会に書き送りましたが、その言葉はイエス・キリストの十字架に貫かれていました。

わたしがまだ神学校で学んでいたころ、順番に回ってくる説教演習の授業はとてもたいへんでした。教授たちが語る厳しい批評を聞いていると、その後落ち込んで何もできなくなってしまうからです。

「聴衆を退屈させないように、感動的なお話をしよう…」。そんな気持ちで説教をすると、すぐに厳しい批評の言葉が説教演習の会場を飛び交います。わたしが一番厳しく言われたことは「あなたの考えではなく、聖書の言葉を語りなさい」ということでした。どんなに巧みな言葉であっても、また人を感動させるような内容であっても、人間の作り出した言葉には人を救いに導く力はありません。ですから、説教者にはいつでも神の言葉である聖書の言葉を忠実に伝える使命が与えられています。だからパウロは、「十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めた」と語っているのです。

聖書の言葉は神の言葉です。聖書を読む私たちに神は聖霊を遣わしてくださり、私たちの生活を導き、救いに導いてくださるのです。だから、私たちは今日もこの神の働きをいただくために、聖書の言葉に耳を傾けるのです。

【祈り】

聖書によって神の言葉を聞くことができることを感謝します。アーメン。

櫻井 良一(東川口教会)