アブラハム(2)不可能を可能に | 創世記 15-18,21章

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創世記 15-18,21章

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 15章6節

アブラハム(2)不可能を可能に

アブラハム物語では、二つの約束が繰り返されます。子孫が与えられることと、導かれた土地が子孫に与えられる、との約束です。

子どものいないアブラハムは、自分の召し使いを跡取りにしようと考えたり、同じく召し使いのハガルを通して子をもうけたりしますが、神はあくまでも妻サラを通して与えられる子孫なのだと繰り返します。

土地についての約束も、神自らが一方的に契約を結んで確証しますが、その実現はなんと400年後、四代目の者たちになってからだと言われます。

もはや子どもが与えられる見込みもない年老いたアブラハムとサラは、神の約束に“笑い”を隠せません。ところが、不可能を可能にする全能の神の御働きによって、やがて真の“笑い(イサク)”が夫妻に与えられるのです。

アブラハム(=多くの国民の父)と呼ばれたこの人が地上で手にしたものは、たった一人の子どもと妻を葬るための墓地だけでした(23章)。

それでも、神の約束を信じ続けて生きる。それが、アブラハムの生き様でした。約束実現の可能性を信じたのではありません。約束してくださったお方を信じたのです。

【祈り】

神様。あなたにとって不可能なことはありません。ただ、あなたがなさることに信頼できますように。

吉田 隆(甲子園伝道所)