ネヘミヤ記 8章
彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
…
民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ネヘミヤ記 8章8節、12節
御言葉を理解し喜ぶ
三輪 誠(浜松伝道所)
彼らは神の律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げたので、人々はその朗読を理解した。
…
民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ネヘミヤ記 8章8節、12節
三輪 誠(浜松伝道所)
2021年11月の聖書日課をまとめて表示します。
「ネヘミヤ記」の聖書日課をまとめて表示します。
三輪 誠が担当した聖書日課をまとめて表示します。
バビロン捕囚という苦難を経て、エルサレムに帰った民による礼拝の様子が記されています。この礼拝において行われたのは、律法の朗読すなわち聖書朗読でした。聖書に記された御言葉こそ、今も昔も礼拝の中心です。しかし、ただ聖書が朗読されただけではありませんでした。皆が理解できるように翻訳され、意味を明らかにされました。こうして人びとは皆、その朗読の意味を理解することができました。
そのとき、民は皆、心動かされて涙を流しました。その民に対して喜び祝うことが命じられます。飲み食いだけでなく、備えのない者に分け与えることも加えられています。貧しい者への配慮はまさに律法において命じられていることです。律法を理解した民は、そのとおりに行いました。こうして皆、大いに喜び祝ったのです。
礼拝の喜びは、御言葉の意味を理解し、それを行うことをとおして実現します。主イエスがまず御言葉を行ってくださり、神の御前に何の備えもない私たちに救いの恵みを分け与えてくださいました。私たちもまた、礼拝で与えられる御言葉を理解し行うことをとおして大いに喜び祝うことへと導かれるのです。