労苦は無駄にならない | 詩編 126編

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詩編 126編

涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は
束ねた穂を背負い
喜びの歌をうたいながら帰ってくる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 126編5節~6節

労苦は無駄にならない

何かを育てるためには、労苦が求められます。農夫は農作物を育てるために、労苦を引き受けます。やがて与えられる実りを信じて、種の袋を背負い、種まきをします。涙が頬をつたうことがあっても、その先にある未来のために耐えます。農夫だけではありません。何かを育てる人は、同じように労苦を担う覚悟と、忍耐をもって、種を蒔き、成長を願いながら汗と涙を流すのではないでしょうか。

苦悩する日々、自分や誰かの罪を示され、神に悔い改めの涙を流すこともあるでしょう。期待を抱きつつも、思うようにはいかない現実の前に嘆きの涙を流すこともあるでしょう。そこに「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる」と響く声があります。バビロンの捕囚の民イスラエルは悔い改めの涙を流すとともに、そこで神と真に出会い、帰還の約束の中で喜びの歌を奏でます。

乾き切った大地に、水が流れ出すように、種を蒔く人の涙は、喜びへと変えられます。涙を流し、束ねた穂を背負いながら、喜びの歌をうたいながら帰ってくる日を望みつつ、私たちは、きょう担うべき労苦を担うのです。

國安 光(淀川キリスト教病院)