バビロン捕囚 | 列王記下 24-25章

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列王記下 24-25章

彼はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士1万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 列王記下 24章14節

バビロン捕囚

ヨシヤの後に王となったヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキンは、先祖たちが行ったように「主の目に悪とされることをことごとく行」いました(23章32、37節、24章9節)。ヨシヤの改革はむなしくされ、ユダは偶像に満ちる国となり、ついにバビロンによって神殿の祭具は奪われ、エルサレムの人びとはバビロンに連れ去られました。紀元前597年3月15日のことです。

「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった」とあります(24章20節)。これは、ユダが運悪く大国の餌食になったのではなく、神の裁きとして行われたということです。ユダの人びとは、神殿がユダにある限りユダは神殿によって守られると考えていたかもしれません。けれども、神殿は失われ、都も国も滅ぼされました。神殿が人びとを神の民とするのではないのです。

このことを他人事とせず、バビロン捕囚から学ばなければなりません。神が求めておられるのは、真心をもって神に聞き従う信仰です。私たちは、心から神を畏れ、神をあがめて歩みます。

遠山 信和(静岡教会)