主が臨まれる神殿 | 列王記上 9章

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列王記上 9章

「わたしはあなたが建てたこの神殿を聖別し、そこにわたしの名をとこしえに置く。わたしは絶えずこれに目を向け、心を寄せる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 列王記上 9章3節

主が臨まれる神殿

神殿建築を終えたソロモンに主の言葉が臨み、神殿の意味が再確認されます。神殿とは「主の名」が置かれるところです。ソロモン自身、「天の天もあなたをお納めすることができません」と述べていました(8章27節)。けれども、このとき、主ご自身が神殿に臨在してくださることを宣言してくださいました。それゆえに神殿には主の目が注がれ、主の心が寄せられます。

神殿は、ティルスの王の提供もあり(11節)、全体が金で覆われていました(6章22節)。黄金の神殿に主が臨在なさるとは、いかにもふさわしく美しいものだと思わされます。

私たちの内には、神にふさわしく美しい金のようなものはどこにも見当たりません。けれども聖書は、罪人である私たち一人ひとりが神殿であると告げています(1コリ6章19節)。聖霊の御業が、私たちを金にまさるイエス・キリストに結びつけてくださるからです。神は、信仰によって私たち一人ひとりを神殿としてくださいます。

イエス・キリストと結ばれている主の神殿には、きょうも主の目が注がれています。主の心が寄せられています。

大宮 季三(横浜中央教会)