悩み苦しむ人の隣人となるために | ヨブ記 21章

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ヨブ記 21章

どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。
聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ。
我慢して、わたしに話をさせてくれ。
わたしが話してから、嘲笑うがいい。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨブ記 21章2節~3節

悩み苦しむ人の隣人となるために

ヨブと友人たちとの議論の第2ラウンドが、この21章をもって終わります。今回は、ツォファルに対するヨブの応答です。

最初、ツォファルたちは、ヨブを何とか慰めようと、彼の傍らで慰めの言葉を語りました。しかし、ヨブは決して彼らの言葉を受け入れようとはしません。なぜなら、彼らはヨブが罪を犯しているから苦しんでいると考えているからです。それで、彼らは、ヨブに対して、次第に非難と裁きの言葉を浴びせるようになりました。

ヨブのような悩み苦しみの中にある隣人に対して、どんなに優れた信仰の言葉を語ったとしても届かないことがよくあります。自分の信仰や体験といったはかりによって隣人を裁いてしまい、魂を余計に傷つけてしまうこともよくあります。そのようなとき、言葉が出かかっても我慢して沈黙し、「待てよ!この人のために十字架で死んでくださった主イエスならば、どのようになさるだろう?」と立ち止まって、その人の言葉にまずしっかり耳を傾ける姿勢で隣人となりましょう。あなたを必要としている悩み苦しむ人はいませんか。

長谷川 潤(四日市教会)