高ぶりの末に | エレミヤ書 48章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

エレミヤ書 48章

それゆえ、見よ、と主は言われる。
傾ける者をモアブに遣わす日が来る。
彼らはモアブを傾け
器から注ぎ出し、壺を砕く。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エレミヤ書 48章12節

高ぶりの末に

エジプト、ペリシテ人に続いて、死海の東海岸に住むモアブ人についての預言が語られます。モアブは、これまで外敵に攻められたことがなく、平穏でした。そこで彼らは「自分の業と富」を誇り(7節)、主に向かって高ぶり(42節)、守護神ケモシュに依り頼んだ結果、神の裁きを受けることになります。かつてイスラエルが偶像礼拝をおこなったために裁かれたように、です。

「略奪する者がすべての町を襲い、ひとつとして免れるものはない」(8節)。実際に、紀元前582年頃、バビロンのネブカドレツァルはモアブの町々を攻撃します。兵士は全滅し、住民の多くは捕囚として連れて行かれることになります。かつてイスラエルを笑いものにしたモアブは、神によって同じようにされるのです(27節)。

しかし、主なる神は、「終わりの日にわたしはモアブの繁栄を回復する」と約束されました(47節)。イスラエルの罪を嘆かれる神は、モアブの罪をも嘆き、立ち帰ることを望んでおられます。その同じ神は、悔い改めてご自分のもとへと立ち帰る者を、今もイエス・キリストにあって受け入れてくださるのです。

久保 浩文(松山教会)