マタイによる福音書 16章21-28節
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 16章24節~26節
キリストの命によって
後登 雅博(高蔵寺教会)
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 16章24節~26節
後登 雅博(高蔵寺教会)
2020年9月の聖書日課をまとめて表示します。
「マタイによる福音書」の聖書日課をまとめて表示します。
後登 雅博が担当した聖書日課をまとめて表示します。
キリストがわたしのために命を捨ててくださいました。キリストは「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハ15章13節)と私たちに教えられます。しかし、私たちが誰かのために命を捨てることなど、殆ど不可能に近いのではないかと思わされます。
よく考えれば、私たちは自分の命を救いたいと思いながら、命を失ってしまう罪人です。「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しておきながら、キリストを裏切ってしまうペトロがわたしの中にいるからです。だからこそ、キリストがわたしのために命を捨ててくださいました。わたしの命のために、キリストという代価が支払われました。私たちは誰も自分で自分の命を救うことができません。自らの罪深さを思います。しかしキリストはその罪深い者の命を、ご自身の命に匹敵するものと見ておられ、命をかけてくださいました。
私たちが生きるためです。自分を捨てて他者のために生きるためです。そのように生きる私たちには価値があるとキリストが命を捨ててくださいました。この驚くべき恵みに賛美をささげます。