ヘブライ人への手紙 5章
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヘブライ人への手紙 5章7節~8節
祈りを通して従順を学ぶ
木村 恭子(川越教会)
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヘブライ人への手紙 5章7節~8節
木村 恭子(川越教会)
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キリストは、神として、スーパーマンのように地上の生涯を歩んだのではなく、弱さを持つ人間として地上を歩まれました。ですから、十字架にかかるという神の意志に従うために、苦しみ、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら祈ったのです。キリストはこのような祈りを通して従順を学ばれた、と記されています。神に従って生きることと、祈ること。この二つの間にどのような関係があるのでしょうか。
私たちには自分の願いや意志があります。しかし、自分の願いと神の意志が違うと思えることもあります。そういう時こそ、真剣な祈りが必要です。
わたしは、祈りの中で自分の思いが整理されていき、同時に神の意志もわかってくる、そのような経験を何度もしてきました。もちろん一回だけの祈りではわかりません。同じことを何度も祈り、状況を考え、また祈る。そういう中で、神の意志とわたしの願いの距離が少しずつ狭まっていくのがわかりました。
真剣な祈りがなければ、神の意志を知り、従うことはできません。きょうも祈りをささげて歩みましょう。