主の憐れみのゆえに | 士師記 10章

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士師記 10章

彼らが異国の神々を自分たちの中から一掃し、主に仕えるようになり、主はイスラエルの苦しみを見るにしのびなくなった。士師記 10章16節

主の憐れみのゆえに

主の恵みを忘れて主を裏切り、偶像の神々にひれ伏す。主の怒りの御手に打たれて苦境に立たされると、臆面もなく主の御名を呼び、救いを求めて叫ぶ。しかし、すぐにまた主の恵みを忘れ、主の目に悪とされることを行う。これが繰り返される。

要するに、イスラエルの民にとって、主なる神は「困った時の神頼み」的な存在にすぎませんでした。三浦光世氏はあるとき奥様の三浦綾子さんに、神を偶像化してはならないと言われたそうですが、イスラエルは彼らの主を偶像の一つにおとしめました。人間の罪深さがこの神の民の姿の中にあらわれています。

主はイスラエルのそうしたありかたを底の底まで知り抜いておられました。にもかかわらず、驚くべきことにイスラエルを捨てることをなさらず、そのたびごとに助けの御手を伸ばされたのです。

それはひとえに、「イスラエルの苦しみを見るにしのびなくな」る、主の憐れみによることであったのです。その憐れみによって、主は独り子を十字架におつけになりました。私たちが御自身にしっかりと根差して生きることができるようになるために。

木下 裕也(岐阜加納教会)