コリントの信徒への手紙二 1章
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 1章4節
苦難と共にある慰め
吉岡 契典(神戸改革派神学校)
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 1章4節
吉岡 契典(神戸改革派神学校)
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苦難は慰めとセットです。ここでは苦難は苦難として、単独では考えられていません。その理由は、私たちが苦難を受けるということは、キリストの苦難の歩みを自分も辿ることを意味し、それは、ますますキリストへの信頼を豊かにされる機会となるからです。
よって慰めとは、苦難や痛みが消えてなくなるということとは必ずしも一致しません。また慰めとは、もう少し経てば状況がだんだん良くなるという見通しとも違います。それはさらに、自分よりも他人はもっと苦しいのだからと考え、自分はまだましだと納得して頑張ることでもありません。苦しみの渦中で神に出会うこと、それそのものが慰めです。
いろいろな希望があり、人はいろいろなものに希望を置きますが、苦難の時、その苦難がたとえ消えずとも、そこで神に出会えて、「主よ、あなたはわたしの希望」と言うことができるということほど、心が強くされることはほかにないのだと思います(詩編71編5節)。どのようなときや状況に至っても、私たちの慰めとなる希望は、これしかありません。