主が備えられた弁明 | 使徒言行録 26章

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使徒言行録 26章

「ところで、私は神から助けを今日までいただいて、固く立ち、…預言者たちやモーセが必ず起こると語ったこと以外には、何一つ述べていません。つまり、私は、メシアが苦しみを受け、また、死者の中から最初に復活して、民にも異邦人にも光を語り告げることになると述べたのです。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 使徒言行録 26章22節~23節

主が備えられた弁明

パウロは、アグリッパ王の前で弁明する機会を与えられます。それは、自分の無実の主張にまさって、主イエスのことを、忠実に弁明するものでした。

パウロは、ダマスコ途上で、天からの光の中、主イエスの呼びかける声を直接聞き、回心し、使徒として召し出されます。それは、「わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす」という、主の召しを約束するものでした(17節)。

使徒言行録においては、皇帝の前での弁明は出てきませんが、このアグリッパ王の前での弁明において、キリスト教の福音が、ローマ帝国とその法に照らして無罪であることが明らかにされます。

「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを形づくり、あなたを立てた」(イザ42章6節)との主の預言をもって、パウロは、主の召しを証言するのです。

受難と復活の主は、パウロと同様に、今日も世界の教会を勇気づけ、だれの前においても福音を弁明する機会を備えておられます。

宮武 輝彦(男山教会)