永遠の岩を避けどころとする | 詩編 73編

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詩編 73編

わたしの肉もわたしの心も朽ちるであろうが
神はとこしえにわたしの心の岩
わたしに与えられた分。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 73編26節

永遠の岩を避けどころとする

詩人は、神に逆らう者が贅沢に生活する姿を見、彼らが「神が何を知っていようか」とうそぶく言葉を聞き、心騒がせます(11節)。

信仰に生きる人の迷いは今日でも変わらないでしょう。自分の力で人生を切り開いている人の姿がすばらしいものと映るのです。逆に「神を信じている」と言うと、何か特別に悩みがあったり、心が弱かったりするのではないかと心配されることがあります。自分を強く持って、宗教などに頼らなくてすむように頑張るべきだと考える人は、少なくありません。

しかし、信仰は自立できない人の逃避ではありません。神など不要であるという人びとは、人がどれほど無力なはかないものであるかを見ようとしていないだけなのです。人間の力には限界があります。むしろ、無に等しいと言ってよいでしょう。自分の力に頼る人の行く末は荒廃に過ぎません。

私たちが、自分のすべてをとこしえに委ねることができるのは、唯一にして生けるまことの神だけなのです。そして現に、そのお方が、信じる私たちに与えられています。

長田 詠喜(新所沢伝道所)