悔い改めて神に立ち帰る | 民数記 11-12章

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民数記 11-12章

民は出て行って、終日終夜、そして翌日も、うずらを集め、少ない者でも10ホメルは集めた。…肉がまだ歯の間にあって、かみ切られないうちに、主は民に対して憤りを発し、激しい疫病で民を打たれた。そのためその場所は、キブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と呼ばれている。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 民数記 11章32節~34節

悔い改めて神に立ち帰る

荒れ野の旅路は、たいへん厳しいものでした。イスラエルの民は出発してさっそく不満の声を上げてしまいました。1回目の理由は不明ですが、2回目は食べ物についての泣き言でした(4節以下)。

マナによって、基本的な食べ物は満たされています。うずらが与えられることもありました(出16章13節)。けれども、肉や魚を求める声に誘惑されて、与えられているものに満足することを忘れてしまったのです。

主なる神は再びうずらを与えられましたが、それは貪欲な者に対しては主の裁きを招くものでした。終日終夜集めるような行為は、日毎に糧を与えて養ってくださる主を信頼する行為ではありません。そのため、疫病で打たれることになりました。

貪欲は偶像礼拝の罪だと指摘されています(コロ3章5節)。自分の思いを満たすことを求めて生きるなら、私たちも神の御前に罪を犯すことになります。この出来事は私たちを戒めています(1コリ10章6節)。

悔い改めて神に立ち帰る者こそ、真実に主イエス・キリストの到来を喜び祝う者とされるのです。

望月 信(鈴蘭台教会)