光の子、昼の子 | テサロニケの信徒への手紙一 5章

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テサロニケの信徒への手紙一 5章

兄弟たち、その時と時期についてあなたがたには書き記す必要はありません。盗人が夜やって来るように、主の日は来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです。わたしたちは、夜にも暗闇にも属していません。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テサロニケの信徒への手紙一 5章1節~2節、5節

光の子、昼の子

「何々の子」という表現は、その特質、性質にあずかっている者ということを意味します。ですから、「光の子」というのは、光の中を歩み、光の中に住んでいる、その存在が光によって特色づけられているということです。

夜、また暗闇に属している間、私たちは罪の中にとどまっていました。けれども、主イエス・キリストの十字架と復活によって罪の暗闇から解放され、キリストに結ばれたのです。真の光であるキリストの内にいる。それゆえ、光、また昼に属する者です。ですから、私たちは自分が光の子、昼に属する者であることをわきまえて、キリストに結ばれている自覚の中で歩みます。

キリストの再臨の日である「主の日」は、いつ来るのかわかりません。けれども、それは、「盗人のように突然」襲うのではありません。主の日が来ることは主イエス・キリストの確かな約束だからです。

昼に属する者として、神の御言葉に導かれて歩むことが大切です。御言葉に聞き続けることによって、「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んで」歩むことへと、私たちは整えられます。

松田 基教(多治見教会)