ローマの信徒への手紙 14章
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 14章8節
生きるにしても、死ぬにしても
吉田 隆(甲子園伝道所)
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 14章8節
吉田 隆(甲子園伝道所)
2017年1月の聖書日課をまとめて表示します。
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わたしがわたしのものではなく、体も魂も、主イエスのものであること。それが、私たちの〝ただ一つの慰め″です。『ハイデルベルク』は、そこにもう一つの大切な表現を加えています。「生きるにも死ぬにも」という言葉です。
わたしの全存在が主のものであれば、当然のことながら死生観も変わってきます。それは〝献げられた人生″とでもいうべきものです。パウロが言ったように「生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のもの」なのです。
しかし、きょう心に留めたいことは、主のものとされているのは自分だけでないということです。主イエスに結ばれている人は誰でも、本人が意識していようがいまいが、主イエスのものだからです。
ですから、主にある兄弟姉妹たちを大切にしなければなりません。侮ったり裁いたりしてはなりません(ロマ14章10節)。尊敬の念をもって互いに愛し合いましょう。特に弱い人のことを配慮しましょう。主は、その人のためにも死なれたからです。
こうして、主にある慰めは、わたしのものだけでなく、私たちのものともなるのです。