主にささげることの祝福 | 歴代誌下 31章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

歴代誌下 31章

ツァドク家の祭司長アザルヤはこう答えた。「主の神殿に献納物の奉納が始まってから私たちは食べ物に不足はなく、むしろたくさん残ってしまうほどです。主はその民を祝福してくださいました。この大量の物が残っています。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 歴代誌下 31章10節

主にささげることの祝福

ヒゼキヤは崩壊していた神殿を立て直し、失われていた礼拝を再建しました。そして祭司たちを集め、ふさわしい任務につかせます。祭司の役割が整えられることで、律法に書かれている通りの礼拝をささげる道が、人びとに開かれました。

それからヒゼキヤは、人びとにいけにえをささげるように命じました。それは、礼拝を司る祭司の生活を支え、彼らが「主の律法のこと」に専念するためでした。ヒゼキヤは命じただけではなく、自分自身もささげました。こうして神殿には人びとによってささげられた多くのいけにえが積み上げられました。その大きさは、「私たちは食べ物に不足はなく、むしろたくさん残ってしまうほどです。主はその民を祝福してくださいました」と祭司アザルヤに驚きを与えるほどでした。

献げ物をささげる、この行為の中に主の祝福があらわされています。主に贖われ、生かされているものだからこそ、主にささげることができます。この行為そのものが信仰告白であり、主の祝福のしるしです。私たちの生活に主の祝福が巡りゆく幸いを思わされます。

國安 光(淀川キリスト教病院)