主を食卓へ迎える者に | ヨハネの黙示録 3章

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ヨハネの黙示録 3章

『「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」』日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの黙示録 3章20節

主を食卓へ迎える者に

2章と3章には、アジア州にある七つの教会に宛てたメッセージが記されていますが、本日はラオディキアにある教会に着目します。

ラオディキアの町は金融と毛織物業が盛んで、繁栄していました。この豊かな町の雰囲気が、教会の中にも深く浸透していたのでしょう。この教会は、昨日のスミルナにある教会とは正反対で、何一つ褒められず、厳しい叱責を受けています。「自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない」(17節)とまで言われています。神を信じつつも、豊かさ故に、この世の富に信頼し、神に頼らなくとも生きていけると考えて、神を必要としていなかったのでしょう。

主はこの教会を「口から吐き出そう(関係を絶つ)」とまで言われました。しかし主は、この教会をまだ見捨てられません。この教会の人びとが心の扉を開くまで、主自らがたたき続けられたのです。早く開けなさい、共に食事をしようとのお誘いです。今も主は、私たちの心の扉をたたいておられます。主を受け入れ、食卓に迎える者は誰でしょうか。

田中 茂樹