サムエル記下 19章
ダビデは身を震わせ…言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 サムエル記下 19章1節
歴史の進展
金田 幸男(西谷伝道所)
ダビデは身を震わせ…言った。「わたしの息子アブサロムよ、わたしの息子よ。わたしの息子アブサロムよ、わたしがお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、わたしの息子よ、わたしの息子よ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 サムエル記下 19章1節
金田 幸男(西谷伝道所)
2015年10月の聖書日課をまとめて表示します。
「サムエル記下」の聖書日課をまとめて表示します。
金田 幸男が担当した聖書日課をまとめて表示します。
アブサロムとの戦いが終わり、その後のさまざまな処置が記されます。勝利した者、敗北した者、それぞれの言動が記録されています。勝者のような姿ではないダビデ、それを叱責する将軍ヨアブ、アブサロム側に立った人たちの改悛、功労者バルジライの願いなどとさまざまです。
本来なら、この勝利によりダビデ王国の統一がなった、と記載されてもよかったのではないでしょうか。しかし、聖書は、勝利者ダビデを描くにまして、これまで延々とダビデ家の内情、つまり親子の対立に筆を注いできました。ダビデ家の負の側面を記す意図は何でしょうか。
その目的は、当然、ダビデの失敗談をただ記すことにあるのではありません。あくまでも神が導かれた神の民の歴史を記すことにあります。神は強い者、成功した者、賢い者を用いてその民の歴史を展開されますが、また弱い者、失敗する者、敗北者、不運と見なされている者をも用いて救いの歴史を推進していかれます。
今日も、神は神の国発展をさまざまな人々の人生を組み合わせて推し進められます。