
新井主一(高島平キリスト教会牧師)
メッセージ:信仰のスケール~詩編8編から~
おはようございます。高島平キリスト教会牧師の新井主一です。
昨日は、聖書の詩編8編の言葉から、「天に輝く主なる神様の威光は、幼子、乳飲み子の口によって讃えられる」という、聖書の論理を確認いたしました。
その地上でなされていた賛美が、今度は大空へと展開していきます。続いてこの詩編は、「あなたの天を、あなたの指の業を わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。」(詩編8:4)と謳うわけです。
中東の夜空はとても美しく、ことに古代オリエント諸民族にとって、天体に輝く月や星は、そのまま神々でありました。ユダヤ人の捕囚の地であったバビロンでも、月をシンと呼び、金星をイシュタルと呼んで、礼拝の対象としていたのです。しかし、ここでは、「月も、星も、あなたが配置なさったもの」、すなわち、これらはすべて神の被造物に過ぎない、と謳われているわけです。
この信仰的な理解は、非常に特殊でありまして、旧約聖書が執筆された古代世界において、類を見ないもの、と言えましょう。しかし、この古代の一般的な感覚は、今もあまり変わっていません。自分たちより大きなもの、偉大なものを見るとそれを神としてしまうのが、いつの時代も、真の神から離れた人間の姿だからです。
しかし、旧約の神の民イスラエルには、神の言葉が与えられていた。「初めに、神は天地を創造された」(創世記1:1)、この聖書の言葉に生かされていた。この違いなんです。神の言葉が与えられて初めて、罪人の目が開かれ、目に見えるすべてのものが被造物に過ぎないことを知るのです。
夏の夜空に見上げたあの天体が、全て神が配置なさったもの、なんという信仰のスケールでありましょうか。この信仰に立つ時、この世のどこにあっても、その神様の支配の中に生かされているという平安が与えられるのです。
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