
山下正雄(ラジオ牧師)
メッセージ:人生に「やり直し」はあるのか
【高知放送】
【南海放送】
おはようございます。心の元気を応援する山下正雄です。
「あのとき、ああしていれば…」と思うことはありませんか。「あんな選択をしなければよかった」、「やり直せるものなら、あの日に戻りたい」…そんな気持ちを、だれもが一度は味わったことがあると思います。
私たちは、人生のどこかで、「やり直せたらいいのに」と思うことがあります。しかし現実には、時間を巻き戻すことはできません。過去に戻って選び直すことはできません。過去は変えられないからです。だからこそ、「人生にやり直しはあるのか」という問いは、多くの人の心に重く響きます。
聖書の中に、こんな話があります。ある息子が、父親のもとを離れ、財産を使い果たし、人生を台無しにしてしまいます。誇りも希望も失い、ついには、豚の餌で空腹を満たそうとするほど落ちぶれてしまいました。その息子は、きっと思ったことでしょう。「なぜあんなことをしてしまったのだろう」、「人生をやり直したい」と。
ところが、その息子が父のもとへ帰ると、父親は、遠くから走り寄り、彼を抱きしめました。そして、こう言いました。「『この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった』(ルカ15:24)のだ。」
父親は、失敗を元通りにしたわけではありません。失われた財産が戻ってきたわけでもありません。財産を浪費した事実、父を悲しませた日々、みじめに過ごした時間。それらは消えません。
しかし、父のもとへ帰ったとき、その息子には、「これからの日々」が与えられました。そして、その「これからの日々」があまりにも温かかったので、過去のあの遠回りさえも、人生の一部として意味を持ちはじめたのです。過去の出来事そのものは変わりませんでした。しかし、息子の未来は変わりました。ここに、聖書が語る希望があります。
私たちは、過去を変えることはできません。しかし、未来が変わることで、過去が違って見えることがあります。かつては取り返しのつかない失敗だと思っていた出来事が、人を思いやる心を育てた経験だ、と気がつくことがあります。遠回りだと思っていた年月が、実は今の自分を形づくる大切な時間だった、と分かることがあります。未来が変わると、過去の意味も変わって見えるからです。
先ほどの話に登場した息子も、同じでした。父に受け入れられた後で振り返るなら、あの失敗の日々は、単なる無駄ではありませんでした。父の愛の大きさを知るための道のりとなりました。
聖書の神は、私たちに、過去をなかったことにする、と約束しているのではありません。そうではなく、どんな過去であっても、それに新しい意味を与えることのできるお方だ、と語っています。だから、もし今、「もう遅い」、「取り返しがつかない」と思っていることがあるなら、聖書の言葉に耳を傾けてみてください。人生は、いつでも道のりの途中です。神は、失敗した人を見放さず、帰ってくる人を迎え入れてくださいます。
過去は変えられません。しかし、神と共に歩み始めるなら、未来は変わります。そして、未来が変わるとき、過去もまた、違った光の中で見えるようになるのです。人生には、神によって与えられる新しい出発があります。それが、聖書の語る「やり直し」の希望なのです。
今もし「やり直したい」と思っているなら、それはすでに、一歩を踏み出すための「我に返る」瞬間なのかもしれませんね。
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