山下 正雄(ラジオ牧師)
メッセージ:終わりの前に、何が起こるのか(マタイによる福音書24:3-14)
ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。
この世界を見渡すと、時折、言いようのない不安に襲われることがあります。テレビをつければ、絶え間なく続く紛争のニュースが流れ、スマートフォンの画面には、巨大な地震や異常気象、経済の混乱といった言葉が並びます。こうした社会不安が重なると、「もしかしたら、本当に終わりが近づいているのではないか」と、思ってしまいます。
実は、こうした「世界の終末」に対する関心は、現代人に限ったことではありません。古くから、人類は常に「終わり」を意識し、それを知りたいと願ってきました。書店に行けば終末予言の本が並び、インターネット上ではさまざまな陰謀論や憶測が飛び交っています。
しかし、今から二千年も前、イエス・キリストの一番近くにいた弟子たちも、全く同じ疑問を抱いていました。
それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書24章3節~14節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。
イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
今お読みした会話がどのような状況で交わされたのか、簡単に見ておきたいと思います。
過ぎ越しの祭りでにぎわうエルサレムで、弟子たちは高揚した気分で神殿の荘厳な建物を指さしました。
ところが、イエスは衝撃的な言葉を口にされました。
「これらすべての物を見ないのか。はっきり言っておく。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」(マタイ24:2)
この言葉は、弟子たちを驚かせました。神殿が崩れるということは、ユダヤ人たちの価値観、世界観がすべて崩壊することを意味します。それは世界そのものが終わるというのと同じ響きを持ちました。だからこそ、弟子たちはその後、イエスを囲んでこっそりと尋ねました。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか」「あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」と。
この問いに対して、イエスはどのようにお答えになったの でしょうか。イエスは終わりの日の具体的な日付や計算方法を教えられたわけではありません。むしろ、終わりの前にどんなことが起こるのか、そしてその中で弟子たちがどのように生きるべきかを語られました。
イエスが最初に語られたのは、惑わしへの警告でした。
「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。」(24:4-5)。
終末の時代に最初に起こることとして、イエスが挙げられたのは、地震でも戦争でもなく、「惑わし」でした。このことはとても重要です。終わりの時代の特徴は、災害よりもまず、人々を真理から遠ざける偽りの声が現れることです。
不安が広がる時代、人は「確実な答え」をくれる強いリーダーや、安易な救済を掲げる偽りの教えに飛びつきやすくなります。歴史を振り返っても、このような出来事は繰り返されてきました。そして現代においても、インターネットやSNSを通じて、真理に見せかけた様々な教えが広まっています。イエスの最初の警告は、今の時代にも切実に響いてきます。
続いてイエスは、戦争や戦争のうわさについて語られました。民族と民族が争い、国と国が敵対し、飢饉や地震がさまざまな場所で起こる、と言われます。私たちの時代を見ても、これらの出来事は決して珍しいものではありません。
しかし、ここでイエスはとても重要な言葉を付け加えておられます。
「しかし、まだ終わりではない」。
つまり、こうした出来事が起こるたびに世界の終わりだと決めつけるのではなく、歴史の中で起こる苦しみの一部として理解する必要があるということです。
そしてこうも続けられました。
「これらはすべて産みの苦しみの始まりである」。
陣痛は激しい痛みを伴いますが、それは「滅び」へのカウントダウンではありません。「新しい命」が誕生するための、避けられないプロセスです。つまり、世界で起こっている悲劇的な出来事は、神の国が完成に向かう途上の「痛み」であって、終わりそのものではありません。災害にばかり気を取られるのではなく、神の国が完成することへの期待へと心をシフトすることが大切です。
さらにイエスは、弟子たちが苦しみに遭うことも語られました。人々は信仰者を迫害し、苦しめるようになる。これは容赦のない言葉のように聞こえます。これまでに出てきた「惑わし」も「戦争」や「災害」も、たとえそれが起こったとしても、信仰者である自分には直接被害は及ばない、と高をくくることができるかもしれません。しかし、ここで言われていることは、直接信仰者の身に及ぶことです。
さらには、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎しみ合うようになる、と言葉が続きます。そして、最も心に響く言葉がこれです。
「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。」(マタイ24:12)
法律や倫理が軽んじられ、自分勝手な振る舞いが正当化されるとき、社会から「愛」という温もりが失われていきます。人と人との関係が分断され、互いへの不信感が増し、思いやりが失われていく…そのような時代の空気は、すでに私たちの周りにも漂っているように思えます。
しかしその中で、イエスは一つの大切な約束を語られました。
「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」。
終末の時代に必要なのは、未来を計算することではありません。試練の中でも信仰を保ち続けることです。冷え切った世界で、イエスの愛にとどまることです。
そしてイエスは最後に、とても重要なことを語られました。
「御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」。
これこそ、最も重要なポイントです。終わりの時を左右するのは、戦争の激化でも地震の回数でもありません。神の救いの良い知らせ、福音が、どれだけ世界に広まったか、それが神の時計の基準です。
愛が冷える時代だからこそ、私たちは愛を失わないように歩む必要があります。分断や憎しみが広がる中で、キリストの愛に生きることが求められています。それはイエスの福音に生きることに他なりません。
世の終わりに備えて、私たちはそのように生きるようにと招かれているのです。









