リスナーからのお便り 2011年3月分

●今日の聖書のお話は、細かな内容こそ違えど旧約聖書全体を通して繰り返し出てくるエピソードの代表的なものだと思います。すなわち、忍耐強く憐れみに富んだお方である主と、その恩恵を豊かに受けながらもじきに感謝の心を忘れ、少しでも辛い上京に陥るとすぐに不平不満を言い出すユダヤの民ーというものです。
 旧約時代の人々は、せっかくの神の好意を無にして怒りを買い、神から懲らしめを受け、またその後憐れみを受けて恵みをいただき、しばらくしてまた主を裏切り…ということを延々と繰り返しているような気が致します。
 その昔、初めて聖書を読んだときには、古代イスラエルの民の愚かさにつくづく呆れたものでした。が、人間は何度も道を踏み外し、神様を悲しませ、忍耐強く呼びかけてくださる神のみ声も時には全然聞き入れもせずに、ずいぶんと好き勝手をし的多様に思います。それでも、同じ人間同士ならば愛想をつかして見捨てていってしまっても不思議でないような状況においてさえ、私たちの神は、私たち人間を決して見捨てるような真似はなさらない。にんげんでははかり知ることのできないほどの、私たちに対するこの神の深い御愛情を思うと、私は何時も眩暈に似た感動を覚えるのです。
 聖書はわりと淡々とした記述ですので、そこて繰り広げられたであろう人々のドラマを読み取るには「行間を読む」という作業が必要になってきます。この「母と子の聖書」のお話は聖書本文からは決して外れること無しに、人間性を持たせたドラマチックな展開で進んでゆくので、聴いていてとてもワクワクします。単なる聖書の朗読よりも、かえって聖書が頭に入ってくる感じです。
 新約・旧約どちらのシリーズも聴き始めたばかりですが、少しずつ揃えていきたいと思っております。ちょうど新約は二巻目まで聴いたところでしたので、No.3全員プレゼントと知って大変嬉しく思いました。よろしくお願いします。青森県 N.S.さん

●時々このHPを開いては、メッセージを読ませていただいています。気になるワードから検索できるシステムもありがたいです。これからも読み続けて行きたいので、よろしくお願いいたします。東京都 S.T.さん

●生けるキリストの愛の中で、生き生きと生きて行けたらいいなぁと思わされますが、現実は心の曇りにさえぎられて、わくわく、どきどきというような信仰ではなく、しっかりしたいなぁと思います。どこに、何を当てにしたら良いか分からない時にさえ、キリスト様に頼ることができたらいいなぁと思っています。(後略) 秋田県 O.S.さん

●先生、いつも放送をありがとうございます。突然ですが、信仰生活って難しいですよね。マタイ伝5章3節「心の貧しい人たちは、幸いである。天国は彼らのものである」は、深く胸にささります。何も持っていないはずなのに何かを必要以上に欲しがる人間の性なのでしょうか。(後略) 和歌山県 E.S.さん

 
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