赤石純也(青葉台キリスト教会牧師)
メッセージ:わたしは汚れた唇の者
おはようございます。青葉台キリスト教会の牧師の赤石純也です。
聖書は、私たちの口から出る言葉に、非常に注目します。あなたが幸せか不幸かは、あなたの口から出る言葉で決まると言わんばかりです。
神様と向かい合った人が、「だめだ、わたしは滅びる」というシーンが聖書にあります。なぜ滅びるのかというと、わたしは「汚れた唇の者」(イザヤ6:5)だから、というのです。
あなたの唇から出る言葉は、どんな言葉でしょうか。私たちが普段、無自覚に口にしている言葉、実はそれによって、すでに、私たちが幸せと言えるか、不幸であるかがわかります。人を責めるような言葉を口にしたその時、その人はもう滅んでいると、聖書はいうのです。
ところが、聖書の人物は、「だめだ、滅びる」といったとき、もう一つの原因を言いました。それは、わたしは「汚れた唇の民の中に住む者」(イザヤ6:5)だから。
私たちの周囲には、たとえば、陰で人を中傷するような「汚れた唇の言葉」が溢れていますし、それどころか、我が身に「汚れた唇の言葉」を浴びせられる、という苦しみもあります。そういう「汚れた唇の民の中に住んでいる」からこそ、わたしの唇からも、汚れた言葉がつい出てしまう。とりわけ、自分に汚れた言葉が浴びせられたとき、自分の唇を汚れから守ることは、本当に困難なことです。
しかし、それになんとか抵抗しなければ、滅びるのはあなた自身です。口から出ようとする言葉をなんとか制御して、あなた自身の幸いを、意識的に勝ち取ってください。
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