赤石純也(青葉台キリスト教会牧師)
メッセージ:火のような試練のこと
おはようございます。青葉台キリスト教会の牧師の赤石純也です。
この世に生きる中で、私たちは、実にさまざまな試練に襲われますが、その中には、理不尽であるとしかいいようのない試練もあります。
理不尽極まりない、火のような試練を体験した人の姿が、聖書に出てきます。聖書はそれを、「燃え盛る炉の中に縛られたまま投げ込まれた3人」の姿として描きました。私たちが体験する理不尽を、映像化しているかのようのです。
ところがなぜか、その炉の中を覗くと、3人ではなく、4人が見える。その4人が、火の中をなぜか自由に歩いている。そして、何の害も受けていない。こういう不思議な様子です(ダニエル3:19-27参照)。
いないはずのその4人目こそ、イエス・キリストだと言いたいのです。火のような試練の中をいっしょに歩いてくれる存在、いないはずの。この方がいてくださるので、私たちも試練の中を歩くことができる。そして、その理不尽な試練によって、何の害も受けない。そのことを、聖書はこう描きます。「火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで、火のにおいすらなかった。」(ダニエル3:27)
この世にあって、あなたがこうむるさまざまな理不尽さを、いっしょに歩いてくれる方がいます。だから、あなたはその火の中を歩くことができる。あなたという人の本質は、何の害も受けない。その火は、あなたをけっして損ないはしない。その火をくぐり抜けたとき、あなたの髪の毛も焦げてはいない。火のにおいすらない。
いないはずのそういう方が、実は、苦しむあなたとともにいてくださいます。
今週のプレゼント ≫「新約聖書」新共同訳 (20名) 【締切】10月11日