7月9日(水) エゼキエル6章
「人の子よ、顔をイスラエルの山々に向け、それに向かって預言して、言え。イスラエルの山々よ、主なる神の言葉を聞け。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』エゼキエル書6章2〜3節
きょうの聖書の箇所は、聞けば聞くほど、つらくなるような言葉の数々です。「遠くにいる者は疫病で死に、近くにいる者は剣で倒れる。それを免れ、生き残る者も飢饉で死ぬ」(12節)。この言葉の数々に耐えられないのが、人の心の正直な思いではないでしょうか。人は、少しでも望みをつなぐものを見出そうと努めますが、そのような私たち人間の望みを断ち切るような言葉の数々です。
けれども、人間が神の言葉に向き合うことは本来、耐え難いことではないでしょうか。神が「怒りを注ぎ尽くす」言葉に、誰が耐えられるでしょうか(12節)。預言者の言葉は受け入れ難い言葉で、私たちを途方に暮れさせますが、目的があります。
「わたしが主であることを知るようになる」(7、13、14節)。そのようにして知るとは、どういうことでしょうか。まさしく信仰の試練です。神の言葉を聞くが故に、試されます。神の言葉がなければ、事に対処して行くだけです。なぜ、神はこのように語りかけてくださるのでしょうか。神は私たちが悔い改めて立ち帰ることを願っておられ、怒りを遅くして、すぐ近くにいてくださいます。だからこそ語りかけられます。
信仰の試練の中で、逃れる道は神御自身にあります。そして、キリストがその狭い門であり、道です。
【祈り】
神を畏れ、ひれ伏し、その声を聞き分け、悔い改めさせてください。