リジョイス聖書日課

ヨハネ7章37-39節 どのような渇きであれ、神の御前で

聖書日課
2020年6月7日(日)

ヨハネ7章37-39節 どのような渇きであれ、神の御前で

  

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」(ヨハネ7:37-38)

 「渇いている人」を、主イエスは招き続けます。いろいろな期待をかけて、いろいろな人が来たことでしょう。期待外れと思う人は、去って行きます。得たいものを得て、渇きを癒された人も、来続けることはありません。しかし、弟子たちは、神との交わりの中に生きるように導かれていきました。そして、本当に渇き求めるべきものは何なのかを学びながら、実際に渇きを癒されていったのです。

 たとえば、のどの渇きを覚えるとき、「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と学んでいきました(マタ6章32節)。人から認められたいと渇くとき、「互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか」と学んでいきました(ヨハ5章44節)。

 人の間で渇くことしか知らなかった人々が、神を仰いで渇き、神によって癒されることを学んでいきました。聖霊が降るとき、主の生きた御言葉が働いて、神の御前であらゆる渇きを癒し続けます。

全ての番組からランダムに
  1. ネヘミヤ1章 御言葉の約束にもとづく祈り

  2. 平和の君イエス(ルカ19:28-44)

  3. 神は必ず

  4. 一回りも、二回りも

  5. からだ

  6. 使徒16章 わたしたちを助けてください

  7. 詩編135編 ハレルヤ。恵み深い主を賛美せよ。

  8. 小さな朗読会292「涙はぬぐわれる(黙示録7:17・新改訳)」(「いこいの水のほとりにて〜魂への慰めのことば」C.H.スポルジョン著)

  9. 詩編22編 主こそわたしの神

  10. ヨハネ9章 神の業が現れるため