木村香(川越教会牧師)
メッセージ: 罪とは?
おはようございます。埼玉県川越教会の木村香です。
自分に罪がある、との自覚は大切なことです。しかし問題は、そこから先です。それを改めようとするかしないか。キリスト教の言葉で言えば、悔い改めるかどうかです。
多少のことはしようがない、仕方がない、と言っていていいのか。もっと言うと、罪ということをどう理解するのか、です。
国語の辞書には、罪とは「法律、道徳、習慣など、社会生活の規範となる法則を破ること。とがめられるべき不法」とありました。でも、規範とか、とがめられるべき不法とか、なんだか曖昧ですね。
法律違反が罪、これははっきりしています。殺人はだめ。でも、心の中で、あんな奴殺してやりたい、と憎むのは罪とはなりません。お前なんか死んでしまえ、と面と向かって言うのはどうでしょう。そのへんが曖昧なのですね。
特に日本人の文化は恥の文化だと言われます。これはいけない、これは良い、ということではなく、人に見られて恥ずかしいからやめましょう。
そういう曖昧なまま終わってしまって、そこから先に行かないのです。
罪をはっきりさせませんから、その結果の裁きについても考えません。あるかもしれないけれども、まあ俺は大丈夫だろう、そんなに悪いこともしているわけじゃないから。
そして、実際に裁きの場に立って慌てふためくのです。裁きの場というのは神様の法廷、ということですが。
今から備えをしなければなりません。曖昧なままでなく、はっきりさせて、その罪から遠ざかることです。
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