私のためにささげられたいのち | レビ記 1章

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レビ記 1章

奉納者がその牛を主の御前で屠ると、アロンの子らである祭司たちは血を臨在の幕屋の入り口にある祭壇の四つの側面に注ぎかけてささげる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 レビ記 1章5節

私のためにささげられたいのち

臨在の幕屋の完成を伝えて、出エジプト記は結ばれます。礼拝の場所がいよいよ整えられて、次はレビ記です。レビ記は、ユダヤ教の伝統によれば「祭司のための規定」という名で呼ばれます。幕屋が完成し、今度は、そこで礼拝する者たちのあり方・生き方が教えられるのです。神に礼拝をささげて生きる者たちのために記された「礼拝指針」「生活指針」がレビ記なのです。

1章では、焼き尽くす献げ物について記されます。牛や羊や山羊を献げる場合は、家畜の中から無傷の雄を連れてきて、その家畜の頭に手を置きます。「これは私たちの身代わりです」というしるしです。そして、屠ります。礼拝の場には、私たちが赦され、神のものとされるための血が流れます。

イエス・キリストが、完全ないけにえとして献げられました。私たちは、礼拝堂に動物を引いて行くことも、屠ることもありません。旧約の幕屋のように、血が飛び散ることはもうありません。しかし、新約の礼拝にも確かにイエス・キリストの血が流れているのです。私たちを神のものとするために流された十字架の血です。

神のものとされていること。これこそ、礼拝をささげて生きる者たちに与えられた大いなる慰めです。

【祈り】

きょうも、神のものとされている慰めの中で生きることができますように。

小橋口 貴人(那加教会)