イザヤ書 45章
わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば
その言葉は決して取り消されない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 45章23節
主なる神の善き計画は変わらない
後登 雅博(高蔵寺教会)
わたしは自分にかけて誓う。
わたしの口から恵みの言葉が出されたならば
その言葉は決して取り消されない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 45章23節
後登 雅博(高蔵寺教会)
2024年2月の聖書日課をまとめて表示します。
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後登 雅博が担当した聖書日課をまとめて表示します。
人は自分よりも大きなものにかけて誓います。しかし、神は御自身以上に偉大な存在がないので、御自身にかけて誓われます。神がきょう、誓われるのは、私たちから恵みを取り去らないということです。神の口から恵みの言葉が出てきます。その恵みが取り消されることはありません。
主なる神においては、言葉と出来事とは一つです。神は御自身が意志されたとおりのことを行われます。神は善きことを計画されます。その計画が覆されることはありません。
神は最初から、私たちにとって恵みとなることを計画しておられます。神が第一に願っておられることは、私たちの幸いだからです。
思えば私たちの言葉は、しばしば裏切ります。口にされた約束が守られないことがあります。心にもないことを口にすることがあります。心と言葉とが一致していません。しかし、神はなんと誠実なお方でしょう。その口から出たことが取り消されることはありません。
いや、神は「滅ぼす」と言いながら思い直されることがあります。神の恵みが取り消されることはないからです。神は裁きや災いについては、思い直されます。しかし、恵みに関して、神は少しも変わることがありません。いつも最善をなさるからです。
【祈り】
御前にふた心なき者であることができますように、心と唇とを聖別してください。