立ち返って神を畏れる者にされる | イザヤ書 29章

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イザヤ書 29章

彼らはヤコブの聖なる者を聖とし
イスラエルの神を畏るべきものとする。
心の迷った者も知ることを得
つぶやく者も正しく語ることを学ぶ。(イザヤ29:23-24)
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 29章23節~24節

立ち返って神を畏れる者にされる

 きょうの箇所では都エルサレムがアリエル(祭壇の炉)と呼ばれて、エルサレムへの激しい裁きが語られています。

 預言者の厳しい言葉を前に、私たちは神の前での人間の罪の深さを覚えざるを得ません。「この民は、口でわたしに近づき、唇でわたしを敬うが、心はわたしから遠く離れている」(13節)。こう語られるときに、普段礼拝をしながらも、自分の心は決して主から離れていないと、自信を持って言える者ではありません。

 また、主を避けて自らの謀を隠し、「誰が我らを見るものか、誰が我らに気づくものか」と言う(15節)。私たちは、ただ自分の謀を喜び、それに生きようとしてしまうのです。

 主なる神が預言者を通して求められることは、私たち一人ひとりが心から主に立ち帰ることです。苦しんでへりくだらされる中でも、そこで主を喜ぶようになり、貧しさの中でも、イスラエルの聖なる方を楽しむようになることです(19節)。

 主は、そのために真の苦しみの人であり、貧しさの中を歩まれた救い主イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。私たちのきょう一日も、この生涯も、ただ主イエスにあって、神の聖なる御顔を仰ぎ見ることが許されています。

 【祈り】 天の父よ、私たちを心から立ち帰らせ、あなたの御顔を仰がせてください。

宮﨑 契一(那覇伝道所)