信仰の旅路 ― 満ち足りて死に | 創世記 25章

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創世記 25章

アブラハムの生涯は175年であった。アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 25章7節~8節

信仰の旅路 ― 満ち足りて死に

アブラハムの長い信仰の旅路の終わりです。息子のイサクとイシュマエルによってサラが葬られているマクペラの洞穴の墓所に葬られました。長寿を全うしただけでなく、神が彼のために計画していたことが満たされ「充足して」御許に召されました。

しかし、アブラハムの生涯を顧みる時、満ち足りたものだったでしょうか。故郷を旅立つ時「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める」と約束されました。カナンの地に入った時「あなたの子孫にこの土地を与える」と約束されました。この子孫と土地の約束は、どうなったのでしょう。

「満ち足りて」とは、ほど遠いものでした。妻のサラからはイサクが一人生まれただけです。土地についてはマクペラの洞穴を墓地として確保しただけです。一握りの地を得たに過ぎません。子孫の約束も土地の約束も未完の状態ですが、これでよいのです。アブラハムに始まった神の御業は、イサク、ヤコブ、ヨセフ…と世代を超えて継承されていきます。

私たちの人生も未完なのではないでしょうか。信仰の働きとミッションは一代で完了しません。世代を超えて担われるのです。私たちは希望において満ち足りて召されるのです。

【祈り】

主なる神よ。わたしも今、人生の旅路の終わりにさしかかっています。思い煩いを、あなたに委ねて終わりを全うさせてください。

望月 明