無信仰の古い喜びにとどまるな | イザヤ書 22章

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イザヤ書 22章

その日には、お前たちは
森の家の武器に目を向けた。

しかし、お前たちは…遠い昔に都を形づくられた方を
見ようとしなかった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 22章8節、11節

無信仰の古い喜びにとどまるな

このエルサレムについての託宣は、「どうしたのか」という、驚きあきれるイザヤの言葉で始まります。「騒音に満たされ、どよめく都、喜びに浮かれた町」、それはイザヤにとって異様な光景でした。敵襲を受けても滅ぼされずに持ちこたえた都で、「やっぱりこの都は滅びない」との思い込みを深めて祝杯をあげていたのでしょうか。彼らはまた、「食らえ、飲め、明日は死ぬのだから」とも言うのですが、彼らには、本当に「明日は死ぬ」つもりなどありません。だから彼らは宮殿に配備されていた立派な武器を頼みとし、城壁の防備を固めるのです。

私たち人間は、いずれは確かに死を迎える時が来ますが、それはいつのことかは分かりません。それでどうするのでしょうか。主には目を向けず、危機対策を講じることで安心を積み上げつつ、いつ死んでも思い残すことがないように今を楽しく生きる、という人生の選択も現実にはあります。でも、そうした無信仰の生き方の末に訪れるのは、呪いのもとに置かれたままの、死の悲惨です。

しかし、私たちはそのような死の悲惨から決別しました。私たちは、私たちを造られた主、贖い主である主に目を向け、悔い改めて新しい喜びに生きる者です。

【祈り】

ただ主を賛美して主を喜び祝う人生へと導いてください。主を喜ぶことこそ私たちの力ですから。

石本 耕一(四国中会)