神の国は畑に隠された宝 | マタイによる福音書 13章31-33,44-52節

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マタイによる福音書 13章31-33,44-52節

「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 13章44節

神の国は畑に隠された宝

からし種のたとえとパン種のたとえに共通することは、その開始が取るに足らないものであっても、やがて想像もできないほど大きく成長することです。神の国もこれと同じで、初めから仰々しく臨んだということではなく、むしろ隠された姿で到来しました。畑に隠された宝や良い真珠のたとえでも、同じことが語られています。人目にははっきりとは分からない。多くの人は気づかず、その上を歩き、素通りしているということです。しかし、多くの人が知らないでいるからと言って、それがそこにあるのかないのか、不確かであるということにはなりません。畑の中に確かに宝があるように、神の国も現実にこの世にある。主イエスの到来と共に来ているのです。これが第一に重要な事実です。

第二に重要な事実は、神の国とは宝であり、それを見出だした人は大喜びするということです。人間は罪を犯し、神との交わりが断たれてしまい、さまざまな苦しみと悲惨の中に置かれてしまいました。そんな私たちのところに、主イエスと共に神の国が到来しました。これを信じる者は、主イエスによって神と和解され、罪と死の支配から解放され、主イエスが統治する神の国で、永遠に生きる恵みが与えられているのです。

【祈り】

主よ、福音によって提示された宝を何よりも優先し、何よりも追い求める者とさせてください。

川栄 智章(せんげん台教会)