主の家に生きることの喜び | 詩編 122編

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詩編 122編

主の家に行こう、と人々が言ったとき
わたしはうれしかった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 122編1節

主の家に生きることの喜び

しばらくの間、日曜日ごとに詩編の言葉を読み続けてきましたが、今日が最終回となります。

きょうの詩編の言葉は、次のように言い換えることができるでしょう。「主の家に行こうと誘われたとき、わたしはうれしかった」と。主の家とは、神の家、祈りの家である神殿です。キリストの教会、教会の礼拝のことです。

この詩編は、二つの喜びを伝えています。一つは行く教会がある喜びです。二つ目は、誘ってくれる信仰の仲間がいることの喜びです。

自分が行く教会があることは喜びです。その理由は、神礼拝と祈りをささげる場所をもう他のどこにも探さなくてもよいからです。自分が行く主の家の場所が決まっていることは、それだけで安心と喜びをもたらします。

「主の家に行こう」と誘ってくれる信仰の仲間がいることも喜びです。信仰が弱ってしまうときにも信仰の仲間が「教会に行こう」と声をかけてくれます。同じ神を礼拝し、共に祈り合う喜びを分かち合う仲間がいることはうれしいことです。

愛する兄弟姉妹のためにあなたにできることがきっとあります。信仰の仲間のために祈ること、「教会で主の御言葉に聞いて礼拝しよう」と、呼びかけることもできます。

【祈り】

主よ、私たちを共にあなたの教会に導いてくださったことを感謝します。

長井 正人