ただわが名のゆえに | エゼキエル書 20章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

エゼキエル書 20章

「わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、イスラエルの家よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる」と主なる神は言われる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エゼキエル書 20章44節

ただわが名のゆえに

エゼキエルは民に、なぜ自分たちが攻められ国を追われて、今バビロンの地で捕囚となっているかを、これまでのイスラエルの歴史を語ることで明らかにします。

出エジプト、その後の荒れ野、そこからの約束の地での歩みが語られますが、そこで繰り返されるのは、主の命令→民の背き→主の怒り→主の名のための憐れみ、です。つまり、エゼキエルにおいては、出エジプト以来、イスラエルの歩みには主の前に良いところがなかったことになります。自分たちの父祖からの歩みが主の怒りと憤りの対象であったことが、預言者を通して捕囚の民に明らかにされるのです。

しかし、主は激しく怒りながらも、主の名の故にその伸ばした手を引き戻されます。その中でエゼキエルは、32節以降で主による救済をも語るのです。

鍵は、主に導かれて民が再びイスラエルの土地に導かれる時、民はわたしが主であることを知るようになり、その時に自らの悪を嫌悪すると言われることです(42、43節)。

神を知る時に、私たちは真実の自分の姿を知ります。「わが名のゆえに」、私たちも救い主キリストにおいて神を知る者にされたのです。

【祈り】

私たちがさまざまな困難の中にあっても、ただあなたを知る思いで私たちを満たしてください。

宮﨑 契一(那覇伝道所)