罪人の頭である「わたし」が召された | テモテへの手紙一 1-2章

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テモテへの手紙一 1-2章

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、…わたしは、その罪人の中で最たる者です。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙一 1章15節

罪人の頭である「わたし」が召された

キリスト教最大の伝道者パウロから訓練を受け、良き協力者であった若いテモテに書き送った手紙を読んでいきます。テモテは、パウロが第2回伝道旅行でリストラに立ち寄った時に見出した人物です。母と祖母の信仰に育まれた信仰熱心な若者で、パウロが伝道者として育て、彼の右腕となりました。そのテモテが、今、エフェソで苦労して伝道牧会していると聞き、彼を励まし立派な奉仕者とするべく書いたのです。

わたしも母教会の牧師から、「牧師学」を授けると言われ、牧師とはどんな働きをするのか、またどのような家庭を作るのかを神学生のときに丁寧に教わりました。40年以上も昔のことです。

パウロとテモテは、導かれ方も賜物も器も異なる奉仕者ですが、共通する点がただ一つあります。それは、キリストの僕であり、福音に仕える者なのです。その原点は、自分は取るに足らない罪人の頭であることです。これまでのパウロの奉仕を根底で支えたのは、まさにそのことであり、そのような「わたし」を主は憐れみ召してくださったからです、何の功もない、すべては教会の頭なる主の恵みの業なのです。

何も他の奉仕者と比べる必要はありません。一切を主に委ね、喜びと感謝をもって仕えていくことです。

【祈り】

教会の伝道牧会のために労苦するあなたの僕たちをお守りください。

山下 朋彦(平和の君伝道所)