もはや未熟な者ではない | エフェソの信徒への手紙 4章14-16節

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エフェソの信徒への手紙 4章14-16節

こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、…風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく…日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エフェソの信徒への手紙 4章14節

もはや未熟な者ではない

神は、キリストを知った皆さんを「もはや未熟な者ではない」と言います。この「未熟な者」とは「子ども」と訳すことができる言葉です。言われたことが間違ったことでも何でもうのみにして、思いが変わりやすくて安定感のない人のことです。キリストにしっかりと結びついて確信し、揺るがないようにしましょう。

ここでは、教会が一致することを命じられています(1~10節)。一致のためにもっとも大切な事柄はキリストです(フィリピ1章21節)。これに対して、この一致が壊れる原因は、キリストではなく人の考えや、聖書とは別の間違った教えや理解をうのみにして惑わされることによって、キリスト以上に大切にすることです。私たちは、天地の造られる前から、キリストにあって選ばれ、キリストに従ってデザインされて、地上に生まれました。主であるキリストに私たちが従っていくことこそ、主の召しであり、私たちの本来の生き方です。

ある神学者は、「優しいクリスチャンはいるが、安定したクリスチャンはどれほどいるだろうか」と言います。岩であるキリストにしっかりとつながって、さまざまな価値観や噂や流行のものに揺るがされず、キリストに満たされましょう。

【祈り】

キリストにしっかり基づいて、揺るがない信仰、揺るがない生き方をさせてください。

酒井 啓介(坂戸教会)