インマヌエル ―神が我々と共に― | マタイによる福音書 1章18-25節

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マタイによる福音書 1章18-25節

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 1章23節

インマヌエル ―神が我々と共に―

主イエスは聖霊によっておとめマリアの胎に宿り、お生まれになりました。それは「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」という預言の実現でした。「インマヌエル」とは「神が我々と共におられる」という意味です。

もともと神によって創造された人間は神と共に幸せに生きていました。しかし、人間が神に背いて罪を犯したためにエデンの園から追放されてしまったのです。またイスラエルの民は神によってエジプトから救い出されたにも関わらず、繰り返し神に背き、神の怒りと裁きを招くことになりました。この「罪」こそ人間が陥った悲惨の根本原因であり、神と人間とを隔てる壁です。

しかし、主イエスが十字架の死によって罪という隔ての壁を取り除き、私たちを罪から救ってくださいました。そして、復活された主は弟子たちに言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28章20節)。それゆえ、私たちはいつも主イエスが、すなわち神が、私たちと共におられることを確信することができるのです。

坂尾 連太郎(南与力町教会)