エズラ記 8章
わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」と王に言っていたからである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エズラ記 8章22節
わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」と王に言っていたからである。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 エズラ記 8章22節
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8章はエズラ本人が一人称の「わたし」を使って記しています。
エルサレムへの帰還と一口で言っても、バビロンからエルサレムまでは1500キロ程の道のりです。男性だけでも1500人以上の人たちが、幼い子どもたちを連れての旅です。エズラが旅の無事を願って、幼い子らのため、また持ち物のために祈ることにしたのは、決して形式的な儀式ではありません。断食をしてまで祈る真剣さです(21節)。
こうまでして祈るのには、理由がありました。エズラは神の言葉に信頼し、神の言葉に生きようとしていたからです。これだけの距離を大勢の人と持ち物を携えて移動するとなれば、王に護衛を頼みたくもなるでしょう。しかし、エズラにはそれができませんでした。日ごろから神への信頼を説いていたからです。エズラにとって、事実、神は信頼に足るお方です。聖書がそう語る通りにエズラは信じていました。神を差し置いて、他のものに信頼を寄せることは、神の言葉に生きる姿勢と矛盾しています。
神に信頼して、御言葉に生きること、その真剣さをこの記事から教えられます。